人気ブログランキング | 話題のタグを見る

International Contemporary Music Festival Present of Orchestral Asia2 2014

フォルリヴェジ:皆さんこんにちは。今日のシンポジウムに参加できて嬉しいです。京都芸大の中村先生と、それから音楽祭参加を支援頂いたイタリア文化会館大阪のステファーノ・フォサーティ館長に感謝いたします。英語を話せる方がたくさんおられます。私は日本語を上手に話すことができませんので、英語で話します。「沈黙の月」はイタリアの作家、ジャコモ・レオパルディの詩から作られています。世界各地の文化で大切にされているテーマである、月の神秘というのが主題です。レオパルディは、人間の生の意味を全てを知るにもかかわらず、そのことについて我々に何も伝えようとしない存在として「月」、を理解しています。今ここでスクリーンにお見せしておりますのは、演奏の麻植美弥子さんが作った研究のための譜からの譜面のイメージです。ここをご覧になりますと、譜面に興味深い色彩豊かな印が多数付けられています。ここには主に4つの層があります。1つは語り、2つ目は歌です。そして声はこれら2つのテクニックの間を交代します。さらに、3つ目は琴の倍音的な伴奏、すなわち声に当たるものです。そして4つ目はオノマトペ、擬音的な響きの効果です。タイミングは書いてありますが、そこには幾らかの自由があります。それは、能楽のような自由さです。振り付けは書かれていませんが、動きの指示はあり、空間の説明はありません。このプロセスは日本の「間」のようなものであり、そこでは、文脈からタイミングが理解されるものです。このあり方というのは、イタリア・ルネサンス音楽のレシタ・カンタンドと同様です。これは、17世紀初頭のものです。また、ウェーベルンという有名なエキスプレッショニズム(表現主義)の作曲家がいますが、この作家の音楽のように、全てが凝縮されて4分間の音楽となっています。それは音と言葉の層をなす対位法であります。このシンポジウムにおいてこの作品を発表できるというのは、本当に素晴らしい機会です。ここではアジアの近代性が西洋の伝統のみならず、技術と一緒になっています。ありがとうございました。

中村:フォルリヴェジ先生、ありがとうございました。今、「間」とWebernのお話がありましたが、この「沈黙の月」がわずか4分間の作品であったということは驚くべき凝縮度ですね。4つの層がお互いに絡み合い、とてもそのような短い時間であったと感じられなかったのではないかと思いますが、それはまさに4分間の作品でした。そこでは凝縮され、時間の質量が変化したその凝縮度を視覚的に図解してご説明いただきありがとうございました。それでは次に、何志光(ホ・チーコン)先生、よろしくお願いいたします。日本のお琴のために作品をお書きいただいています。

ホー(何):まずは、このたび音楽祭にお招きいただきました中村先生ならびに、京都市立芸術大学に感謝申し上げたいと思います。京都市立芸術大学の先生方はじめ会場のみなさまと、私の考えを共有させていただけることを光栄に存じております。この曲、「海岸線」は昨年、東京で開催されたアジア音楽祭に向けた委嘱を受けて、琴の独奏曲として作曲したものです。まず、私にとって箏のような独奏楽器のために作曲するということは、ピアノなど西洋で使われる独奏楽器のために作曲することとは違います。箏という楽器の性質のために、私は、箏から耳に届く音の強弱のことだけでなく、琴の声がどれくらい私達の心や気持ちに語りかけるか、特に、音と音の間の無音状態が決め手になるのではないかと思いました。箏は同時に表現的にも内省的にも成りうる楽器です。また、多くの場合、長い歴史のある伝統的な奏法や文化遺産が染みこんだものです。

これら伝統の中には様々な演奏形態によって表現されるものもあり、他方、他の表現方法では琴演奏のステージ上で非言語的に表されるものもあります。今回作曲で私の取ったアプローチは、伝統的な在り方ではなく、様々な西洋的な影響を得た、より現代的な性質のものでした。そして自分の曲を演奏してくださる奏者の伝統的な修練方法やお稽古がどのようなものかわからないため、私なりに自分の意図と奏者の方の音楽センスの間の距離を縮めたいと思いました。

この作品の構想中に、私は、琴よりは少しは身近に考えられる楽器であるチェン(箏)やグーチン(古琴)を演奏することの意味について、若いころ祖父と話したことを思い出しました。祖父が話してくれたのは、チェン(箏)いう楽器を演奏するのは、単に音楽を演奏するというだけでなく、私達人間の精神や心に対する意識を高めるということであり、気の存在たる私達と、土、水、風、木という自然の要素との均衡を求めることでもあるということでした。この考え方を元に私は、心の中に琴の調べを聴きつつ、自分の考えを言葉にしようと考えました。当初は琴の調べに声を入れようという考えがありましたが、最終的には琴に一本化することにしました。

コミュニケーションには歌声の代わりに私達の心にある声として語りの声を使うことで、聴き手と繋がろうとしました。けれどより重要なのは、これによって私が奏者の方と初めて繋がったということでした。私は日本語がわかりませんので、それを流暢に表現することも叶いません。しかしながら出来る限り努力し、私の音楽と考えを英語で表現しました。


温かな風がやさしく流れる

白い霧の中に夜を漆黒に染めながら

風は流れ 夢見る



冷たい波が勢いよく寄せる

張りつめ 躊躇いがちな 風と共に

波は寄せ 返す



波が冷たく 空に浸みこむ

星々が散りばめられた空に

夢見て そして生きる


この題名の「海岸線」と言うのは、生死の境にある細い線を表しています。この生と死というのは本当に互いにほんの一息さきにあるものですので、この曲というのも、非常に短い時間感覚、ほんの数秒の感覚を使い、心のなかのイメージとして音楽で表現するものが、人間の命・生活の経験にどのように大きな差が出てくるのか、ということを表現しようと思いました。これらの短い感覚には、琴によって繊細なニュアンスを加えることができます。

この曲は私の意図を記譜に表したものでありますが、それと同時に実際に楽譜に音楽を語らせる、琴の奏者の声によるものでもあります。この、琴という楽器の声を通じて私の考えや意図を語ってくださる麻植美弥子さんに感謝を申し上げたいと思います。先ほど私は、現代的なアプローチでもって作曲をすること、音楽の中にバランス・均衡をみつけようとしたことに触れました。楽譜に記譜された音楽は、私の現代的なアプローチである一方、奏者は3つの章に対する自身のアプローチによって、作品のバランスを取ることが出来るのです。この3章は、3つの詩のテキストに基づいたものであり、奏者はこの詩を自分なりに解釈し即興で演奏しなければなりません。また、この即興のなかで奏者は即興の部分の前後とバランスをいかに取るかについて、心を砕かなくてはなりません。私は、琴という楽器では、奏者の自分の音あるいは声が非常に重要であり、作品を構成する要素の一つだと思っています。物語を語ったり、詩を朗読するナレーターのように、奏者は自身の芸術的、内的感受性を使って、作品を音楽として表現するのです。楽譜にある音符以外に詩も奏者とつながり、コミュニケーションするもう一つの側面となります。このやり方で、奏者と私が心で以てより近づき、この作品の本質に調和できることで、観客の皆様に、同じ形で音楽をお届け出来ることを願っています。私の考えを皆様に披露させていただきどうもありがとうございました。

中村:何(ホー)先生、ありがとうございました。他国の文化に当たる楽器に、様々なアプローチ、それに私達が持っているものを外側から再構成していただいたという気がいたします。素晴らしい音楽をありがとうございました。それでは、オーストリアからザルツブルグ・モーツァルテウムのフェーベル先生、よろしくお願いいたします。

by n-nakamura226 | 2014-11-20 23:45 | Comments(0)
←menuへ