カテゴリ:生活 life( 8 )

FD

FDフォーラム(Faculty Development:
大学教員の教育能力を高めるための実践的方法、
forum:広場、集団討議)が
2011年3月5日&6日に京都外国語大学で行われ、
東京音楽大学、立命館大学、東北芸術工科大学の取り組みの
第6分科会に音楽学部から参加した。

午前の発表は、町中での音楽アウトリーチや
映画制作(山田洋次監督)や土を耕す授業からのデザインなど
現代の困難を切り開く次世代のさきがけモデルとなるもので、
地域と生き、土と生き、畠をつくる授業が紹介された。

午後は議論で、私は京都芸大という属性と共に
社会の進む方向をデザインするというテキストメイカーの立場
作曲からという観点で冒頭に発言した。

日本各地からの参加者のみなさんが全体で活発な議論となり
「社会と音楽」「社会の音楽」
「土と真に結ぶ」という中心点があぶりだされたように感じた。

その5日後に大震災が起こった。
とっさに私は3月11日は9月11日の対極点では、、、と感じ、
さらに原爆とチェルノブイリが頭をよぎった。

911は教え子が留学でニューヨークへ到着したちょうどその時だった。
その報をドイツでを聞いた私は、帰りの飛行機が当初の所要時間8時間が
3倍となる原因となった空港のコンピュータのサーバダウンで、
多数の人間が手書きの鉛筆と電話での飛行機乗り換えをした経験もある。
また、25年前のチェルノブイリの時はドイツに留学していた先輩が
ヨウ素を服用したことを言っていたことを思い出し、
この震災はこれら複合的な規模のことになるのではないかと感じつづけている。

そして、やはりいまも原発事故はおさまらない。
一年かかって終息するかもわからない。

FDの議論の帰結点を私なりにまとめるならば

土を耕し(自立的な文化を身体で作る)
地域と生き(一極集中を避け多様化・持続可能な文化へ、
      地域の文化から発して地球全体へと届く音楽の本道)
社会で行動する(増大拡大を必要とする文化からの脱却)という

三点に尽きていた。

これら討議が3月11日の東日本大震災に間に合わなかったのは実にくやしい。

地球全体で考え、地域が主人公となるまで
内よりいずるちからでテキストを発し続けたいと強く思った。

また、私は今回PTSDに陥るのを避けるため
あえて意識的に震災翌日からの6日間の入学試験の合間の時間、
携帯で震災の映像を毎日じっと見続けた。

その作業は、、、、、なんということだ。
あそこにいるのは私ではない、ここにいるのが私、とはっきりさせる作業。

そして、福島のかたがたと福島の土と思いをひとつにするため
普段食べない上等のコシヒカリを震災一ヶ月後
福島のお店から購入させていただいた。

突然だが、一般に携帯、電気調理器などからは電磁波が少なからず出る。
人によっては具合が悪くなることがある。

私は家がオール電化のため住み始めた最初の一年は家電の電磁波で大変だった。
それでも7、8年が経過して電磁波になんとか慣れて生きている。

さて、福島から到着したお米の袋の上に手の平を載せると、
ビーン!と米が受けた恐怖と痛みを感じた。

はげしい痛みだ。

人間も有機物。
お米も有機物。

デジタルに計測するものだけでない「悲嘆」。

その日は帰宅が遅くて調理できなかったが、翌日その
こころのビーンとする激しい痛みが半減
その翌日また半減した感じがしたところで

論理的には汚染されたものは入っていない
昨年結実した米をまずは大切におかゆにして食した。

微量ストロンチウムの報道、
作付けができない非常事態。

福島のみなさんの心境いかばかりか、想像を絶する。

福島のお米はおいしい。

毎日ご飯をいただきながら、書いている。

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この度の東日本大震災(東北地方太平洋沖大地震)において
被災された多くの方々に心よりお見舞いを申し上げますと共に
犠牲になられた方々とご遺族様にこころより深くお悔やみを申し上げます。
被災地の皆様にお届けすることができるよういま
できることを大切にしっかりとおこなってゆきたいと存じます。
被災者の皆様の生活が一日も早く回復されるよう
心よりお祈りいたします。

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腰痛半年近くもひどくなるばかりで
平地で転んだり階段の上り下がりがつらく

線維筋痛症から腱付着部炎の症状の一端にしては
外科的というのかがんがんきていてもう一日も無理で

西岡整形外科医院でレントゲンを沢山撮って
検査してもらいました。

胸椎と骨盤に棘突起(とげが生える)があり
靭帯骨化というそうです。

それでしびれや痛み、脱力が発生していました。

すでに膝に棘突起があり痛みます。

薬が12時間用の朝夜服用の鎮痛薬と座薬に変わりました。

ボルタレンという薬です。


これまでのモービック(24時間作用の鎮痛薬)は効きましたが
昨日から二回服用して今の症状に
ボルタレンは非常によく効くことがわかりました。

祖母の自宅介護2年以来、逆流性食道炎で1年
そして線維筋痛症2年から腱付着部炎1年。

長期間にわたり身体には相当にはげしい負担がかかっていました。

後縦靭帯骨化症。原因不明で難病ですが
インターネットで調べると名医もいる、克服記もある、、、よかった、
この病気は公費対象です。経済的に安心します。

本当につらかったのは、、、、保険が効かない線維筋痛症。
音楽家でよかった、、、、、なんとか生きています。

父もしびれや痛みで私の年齢のころ発症して手術しています。
祖父や伯父もしびれや痛みで頸椎を手術しているので
これはもう完全に遺伝と思います。

漢方での治療や手術せず整体で直す人もいました。

うまくいえませんが逆にはっきりして
これで克服できる、という気持ちに強くなれました。

ひとまずは脇に置いて身体を治すのが先、
これからの季節、プールで歩いたり泳いだりするようにします。
(なかなか行けないものですね。。。
4/9と4/11のたった二日間しか行けていません。。。)
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棘突起以降2ヶ月後激腰痛ぎっくり腰発症で収束に数ヶ月かかりました。
2012年8月末にも激腰痛ぎっくり腰発症しMRI撮影で
椎間板ヘルニアが2カ所あることがわかりレーザ手術を
2012年9月初旬に名古屋で行い、現在再手術待ちです。また報告します。

楽舞台「鑑真」初演の翌日
clumusica ×湖笛の会 collaboration
公募作品選考会議で参加楽曲5作品と既着プログラム1作品の
音出し指揮でお手伝いして翌日
韓国東西楽会定期に恩師ご夫妻と箏奏者と母と私の5人部隊で
ソウルから龍仁市に入り講演と演奏会からソウルに戻り
手術のあいだに箏を持って移動とハードでしたが
沢山のかたがたに助けていただき帰国しました。

助けてくださった皆様、本当にありがとうございました。

9月下旬二度目の手術を受け、起き上がるのに
朝1時間かかっていたのが手術後に5分になっていたものの
その5分がすぐ立ち上がれるようになりました。

ありがとうございました。2回の手術後約半年です。

動けるようになって元の身体のように物を持ってしまい
もう一つのヘルニアがぐっと来ているので要注意
だましだましやっています。

実際のところ再々手術の時間がとれないです。
要注意要注意。

歩いてバス停まで行けるのは本当にありがたいです。

まだハイキングに行けるところまでは無理なようです。

そうやって歩いた後いろいろ運んでしまった後が大変で
あとひとつのヘルニアもちょっと危険な感じなので
躊躇せず車に乗って分散しています。

先日風呂が故障して4、5日風呂に入れなかったので
近所のお風呂屋さんに行ったら身体によく効きました。

その時間がなかったのですが風呂が壊れて行くことができました。
週に一度くらい行った方がよいようです。

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2009年7月20日の海の日、残っていた腱付着部炎のおおよその症状が突然去りました。

まだ鎮痛剤を服用していますが、線維筋痛症の発病より2年を待たずしてこの日を迎えることが出来ました。

支えてくださいました世界中の皆様へ、今、ただただ心よりの感謝とともにご報告させていただきます。

ありがとうございました。
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2007年9月10日、かっちゃん、空に還る、、、、

かっちゃん、どうしていますか。いつも見守ってくれて本当にありがとうm(__)mかっちゃんは大学同期のすごい歌い手でした。

かっちゃんのお見舞いに2007年9月2日、東京に会いに行き、、、それが最後となりました。再会の前に会ったのは大学院の時、それから17年も経っていました。

先日、作曲法の授業中に学生さんから急にかっちゃんのことを話しかけられ、、、、「楽食」という京都芸大のオペラや劇団四季のミュージカル関係者がよくくる有名なお店へ、大学同窓会の役員をご一緒しているソプラノの奥田聖子さんが連れてくれた直後のことで、驚きながらひたすらそこに「かっちゃん」の大きなエネルギーを感じました。

声楽専攻の学生さんは「私、中学の時キャッツを観にいって、小林克人さんに握手してもらい、サインも貰いました。克人さんはものすごくやさしかったです、、、、」と、そして翌週、その時のサインの入ったプログラムを持ってきてくれました。とてもかわいいねこのイラストの入った、かっちゃんのサインがそこにありました。

プログラムの中にはオールドデュトロノミーという老猫のすごい存在感のかっちゃんの写真があり、私は涙が止まりませんでした。

こんなすごい友人がいて、一度も彼のミュージカル舞台姿を観ないままになってしまった、、、、彼の出演作をこれからひもとく私をどうかお許しください。

「オペラ座の怪人」(バレエ公演でサンフランシスコのオペラハウスに行った時、振付の石井潤先生や制作の高谷静治さんたちがダウンタウンのシアターまで観に連れてくれた、私が大金を出した唯一のミュージカル)
「CATS」(あんなに大人気のものを一度も観ないままでいてしまい、本当に申し訳ないかぎりです)
「壁抜け男」(知らなかった、、、)
「ジーザス・クライスト・スーパースター」(今からでも観に行こう、、、)
「李香蘭」(これこそ観ておくべきであった、、、)

私は今、心に秘めている1作品があります。

すでに大合唱部分の作曲はなんと出来ています。あとは中心ナンバーを作る作業のみ、台本と、そのための中国語を早くなんとかしなければ!

かっちゃん。
不器用な私の仕事をじっくり見守ってください。

7月24日、あれから24年が経って、、、、
先ほど、かっちゃんのこと声をかけてくれた岡上綾子さんのカルメンを聴きました。
これから本当に楽しみですね。


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2007年8月5日に発病した激しい線維筋痛症は、ある日突然に去ってゆきました。2009年1月10日のことです。(現在、比較的軽症な腱付着部炎に移行しています)

昨日2009年1月10日の昼、土曜の大学の研究室に新潟の箏奏者、杉浦順子(よりこ)さんの来訪を受けていました。

その前日、京都コンサートホールで「廣瀬量平先生をしのぶ会」が行われました。2008年11月24日に逝去された廣瀬量平先生の音楽葬です。それに参加され、翌日に研究室への来訪を依頼されていました。

昨日はみぞれまじりの寒い日で、白く雪化粧した大枝の山が本当に美しい日でした。

朝十時に研究室に杉浦さんがお出でになり、デュオを組まれているドイツ人尺八奏者で大使館勤務のボックハルトさんと録音された廣瀬先生の作品「十六夜(いざよい)」のこと、日本伝統音楽研究センター所長時代の思い出や御依頼されていた箏独奏の作品のこと、中国に演奏旅行をするようになられたことなど話はつきませんでした。

その最中、私は不思議なことに気がつきました。苦しみ続けた線維筋痛症の強い症状が、突然ふっ、と消えていったのです。

話している最中だったので時間は特定出来ません。でも多分正午ごろだったのではないかと思います。

母に話したら、音楽葬をした廣瀬先生が持って行ってくれはったんやわ、と。

線維筋痛症の症状は、神経のなせる業とはいえ、極限の世界です。地獄というものがあるならば、間違いなくこれがそうである、そう思います。

内からメッタ切りされ続ける痛み。左右、上下、前後に力で引き裂かれる強いこわばり。一年半前は指が動かなかったのです。

このひと月半、廣瀬先生をしのぶ会の準備で連日連夜、睡眠時間3時間が続き、本当に苦しかったです。

線維筋痛症は、始まるときも終わるときも、本当に突然。この強い症状が去ったことに心から感謝し、発病以来見守ってくださった沢山の方々に厚く御礼申し上げます。

そして、この病気に苦しむ方々のお役に立てるよう心よりつとめてゆきたいと思います。

後日談:こうして強い症状が去った日があり、また気温低下やさまざまなアレルギーから、思いもよらぬ程、症状は一進一退の日々が続きます。この日のように、突然強い症状が完全に去ったかと思う幾日がありました。2011年2月14日現在、いま少しの症状を残し、若干軽症の腱付着部炎との戦いが続いています。

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私は昨年夏、2007年 8月5日に線維筋痛症を発症しました。

突如夜半に身体の中を日本刀で斬りつけられるような激しい痛みに襲われ、眠ることも、横たわっていることもじっとしていることも出来ず、ひたすらもだえ動き続けるほかありませんでした。

身体はこわばり、極度の疲労と完全な不眠状態におちいりました。

はっきりと、これは呪いだ、、、、そう感じました。

そしてその朝、朝日新聞の日曜版にこんな記事が載っていました。

線維筋痛症。

あの日本テレビのアナウンサー大杉君枝さんが痛みに耐えきれず、自殺してしまわれた病気だと。

しかし、この朝の新聞記事のおかげで私はその日のうちに行動にでることが出来ました。

まずは明治鍼灸大学(現:明治国際医療大学)の線維筋痛症の専門外来で連日、針と灸の東洋医学系の治療を受けたこと。

そして西洋医学では故郷の草津にある線維筋痛症の専門外来を設けている西岡医院で検査を受け 、対症療法として24時間持続する痛み止めの処方を受けたこと。

もし発病が大学の夏期休業中でなければ、間違いなく失職、、、、夏のあいだ毎日、治療にほぼ丸一日を費やしていたのですから。

しかもこの病気は保険が効きません。老後の蓄えを全額放出、すべてを身体のマッサージや移動のタクシー代に使いました。

私の症状はピークに達していました。

指先も神経が丸出しになり、がんじがらめに体中縛られているようにこわばり、思った場所に指が動かずでたらめにつっぱらかり、ピアノが弾けなくなっていました。

毎日、1〜2時間のハンドマッサージを受けました。費用は一日一万円。つまり月額30万円。
ほかに漢方、代替療法などなどで月額10万円。月収等はるかに越える高額が飛ぶように無くなってゆきました。一日8時間以上働けません、5時には帰らせてください、どうか助けてください、と学生さんに事情を話しました。

学校は保険の効かない病気には協力できません。

一切公的な援助のないところで生きられるか、まさに人体実験、、そう思って闘いました。

これはロストジェネレーションのいわゆる梯子を外された状況とほぼ一緒か、、?そんなようにも感じました。

アレクサンダーテクニックという、身体の筋肉の使い方を正しくする療法をかつてピアノを教えてくださった笠原先生にご紹介いただいてルカス先生にレッスンを受け始めて数ヶ月後、やっとピアノが弾けるようになったのは2008年2月。

実は、そのひと月前の1月に耳が急に聞こえにくくなり、低音のある周波数の音域が聴こえなくなり、治療にひと月かかりました。

本当に怖かった、音のバランスもへったくれもありません。昨日まで聴こえていた音が部分的に聴こえないのですから。

少し聴こえる域が減ったままですが、なんとか翌月に回復しはじめました。そして、このブログを始めたころに接続するのですが、、、、

あと少しで、発病一年となります。

今日、偶然に電車の中で草津の西岡医院の西岡先生に会いました。

なおるのに平均7〜8年はかかる線維筋痛症が、音楽を通して支えてくださる滋賀県の、そして京都の、日本中の、そして世界中のみなさんが直接に、間接に助けてくださり、今、私はこの病気から治癒する世界で一番早い治癒例になろうとしています。

特に、よし笛のアンサンブルを頼んでくださったことがきっかけで川のほとりのこもりうたの存在を思い起こさせてくださり、そこに歌詞もつけるように頼んでくださった元京都市交響楽団首席オーボエ奏者の呉山平煥さん、ブログとメールで励まし続けてくださったよし笛協会理事の赤澤さん、そして川のほとりのこもりうたを、それこそ世界中という規模で演奏し始めていただいた時、

そう、崖の上から突き落とされ心身ともに死に体になる一歩手前で、地球という世界になんとか自力で踏みとどまれたのだ、とそう思います。支えてくださった皆々様、本当にありがとうございます。

痛い!!!と、私は聞いてくれるかたには誰でも声を大にして訴えました。

もっと早くにそうすれば、この病気は決して発病しなかったでしょう。

しかし、たとえ発病してもいつかかならず線維筋痛症は治る!!そう確信しています。

病気になった方々へ、私がアドバイスできることは不特定多数のひとに病気を知ってもらうこと、そしていろいろなかたに反応をもらい、言葉をかけてもらうことが一番治癒につながる、そう思います。

心から反応してもらえず、大変悲惨な事件が起こっていることも、社会全体、私達全員で受け止めておかなければならないこと、そう感じます。

また、書きます。これまで病気の私を支えてくださったすべての方々に心より御礼申し上げます。

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今朝は、3回生の小川彩音さんと一緒に練習に行きました。

フルートオーケストラ湖笛の会(うみぶえのかい)の練習場は滋賀県石山の晴嵐市民センターにあります。

3階の練習場から見える湖の景色は、井上明彦先生がつくってくださった湖都楽母のチラシデザインそのものでした。雪をかぶる比良山、透明な湖、そこへ飛来する鳥たち。

私たちとイメージを共有してくださり、本当にすごいものができました。ありがとうございますm(__)m井上先生は今日、パリへ出発です。

6月5日のバロックザールでの作品展「まことのはる」にプログラミングされている連作組曲「母なる湖」の一回目の練習です。8曲全部の音出しをしました。

水草の森、しじみ貝のつぶやき、おおなまずの眠り、香魚のとむらい、稲妻が走る、涸れた水底で、鳰の子守唄、揺れる帆。

女性プロ・フルートオーケストラが委嘱した女性による作品を女性指揮者が今回初めて振りました。

水や緑の匂いが聴こえてくる、、、、。

大先輩たちの胸をかり、小川さんたいへん頑張っています。演奏においても新表現が生まれ、本番が楽しみです。


ソプラノ日下部祐子さんの博士候補者試験で午後は学校に戻りました。お世話になっている大先輩です。

私自身博士号をもっていませんが、先輩にあたるかたがたが博士号をとるお手伝いをさせていただく構図がこのところ続いています。

心底ありがたいなと思うことは、飛行機に乗って出かけていった場所から今度はこちらへとさまざまな力あるかたがたがいらしてくださるということ。

自分の居場所を理想の場所にしたいと思う私に神様がくださったプレゼントだと思います。

夜は、アレクサンダーテクニックのルカス・ロレンツィ先生のレッスン。

線維筋痛症を昨年8月に患って以来8ヶ月目になります。レッスンに通い始めた昨年12月以来随分上達し、二週間に一回でかなりよい状態を保てるようになり、ピアノもまた普通に弾けるようになりました。

ルカス先生の奥様は、ピアニストの笠原純子さん。学生時代の師匠、笠原咸子先生の娘さんです。



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